こんにちは!
今回は、平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』の読書感想になります。
大人の恋愛小説という形で表現されていますが、平野さんの作品では後期分人主義の最初の作品という位置づけになっています。
平野啓一郎さんについては、公式サイトのコチラのプロフィールをおすすめします。
TEDトークでの公演の動画もあるのですが、分人主義を知るのに一番良い内容だと思います。
自分はこの動画と『私とは何か』を読んだ後に、映画『マチネの終わりに』を見て小説を読んだのですが、一番良い流れじゃないかと思います。まぁ自己満足ですが。
映画を見てネタバレ感があったものの、読み進める内にそんなことを意に介していない小説の圧倒的な力強さに魅了されました。
では、『マチネの終わりに』のあらすじから。
『マチネの終わりに』のあらすじ
『マチネの終わりに』のあらすじは公式ページの下記の内容を引用しました。
毎日新聞とnoteで連載されていた、平野啓一郎の長編小説です。
物語は、クラシックギタリストの蒔野と、海外の通信社に勤務する洋子の出会いから始まります。初めて出会った時から、強く惹かれ合っていた二人。しかし、洋子には婚約者がいました。やがて、蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、ついに二人の関係は途絶えてしまいます。互いへの愛を断ち切れぬまま、別々の道を歩む二人の運命が再び交わる日はくるのかー
中心的なテーマは恋愛ではあるものの、様々なテーマが複雑に絡み合い、蒔野と洋子を取り巻く出来事と、答えのでない問いに、連載時の読者は翻弄されっぱなし。ずっと”「ページをめくりたいけどめくりたくない、ずっとその世界に浸りきっていたい」小説”を考えてきた平野啓一郎が贈る、「40代をどう生きるか?」を読者に問いかける作品です。
連載で読まれていた方は本当に翻弄されて、仕事が手につかない人もいたのではないかと思います。
後で書きますが、その主人公二人が翻弄される様は、平野啓一郎さんの作品が緻密に作られているからこそであると思います。
『マチネの終わりに』を楽しむポイント3つ
さて、次は『マチネの終わりに』を楽しむポイントを自分なりの視点でお伝えしたいと思います。
①大人の恋愛であること
『マチネの終わりに』は、蒔野が38歳、洋子が40歳という設定になっています。
人生の酸いも甘いもある程度経験し、人生経験も積んだ大人な二人なので、情熱に任せて~という感じが無きにしも非ずですが基本的には常に先を見据えた大人の判断が入り込みます。
が、そんな一面だけではなく、若者よろしくメールや連絡が有る無しに一喜一憂する様も描かれています。
また、蒔野はクラシックギタリストとして長年活躍してきたものの、初めてのスランプに悩み、洋子はイラクでの戦争体験に心身ともに疲弊してしまうというのも、仕事が恋愛に影響するという点で大人の恋愛の一面だと言えます。
そこがなぜポイントなのかと言えば、後に出てくる分人主義という点で自己と向き合うという事を描くには、若さで一直線な恋愛ではその行動が単純化されてしまう確率が高いというのが自分の考えです。
若さ故の魅力は、全力で直線的な動きを何往復もする(ぶつかり合う)中で、自己と向き合うという事に繋がっていくという点ではある意味同じなのですが、そこに至る時間感覚や感情の起伏はエネルギーが大きすぎて、感覚を以って捉える必要があります。
言語よりも感性を頼りにするという感じでしょうか。
若さからもう少し経験を積んだ大人への変化を辿っていくという事は、本能的な感性から言語を介入させたスローな感性も持ち合わせられる時代に突入していると思います。
かく言う自分がこのブログを書いている現在36歳ですが、行き当たりばったりよりももう少し慎重さが出てきたと思います。
悪い言い方をすれば保守的というか。
別の見方では、プロスペクト理論で心理学の分野にも関わらず経済学でノーベル賞を受賞したダニエル・カーネマンのファスト&スローではありませんが、勢いでの恋愛ではなく、言語を介在させた感性を持った大人の恋愛という枠を用いることで、如何に生きるか?というものを述べていく上で、タイム感やテンション、エネルギーという点でも落ち着いて物語を構築していけるのではないか?と思いました。
②分人主義
作者の平野さんは、『決壊』という作品で個人というものの見方に限界を見出し、どう生きるべきか?という問いに向き合う中で分人主義という考え方に至ります。
もう一つ『決壊』をあのかたちで終わらせるよりほかなかったのは、個人という概念です。この小説以前は個人という概念を前提に小説を書いていましたし、『決壊』も同じように書き始めました。でも書き進めるうち、今は個人という概念自体に限界が来ているのだということを強く意識しました。沢野崇という主人公は、その困難を象徴的に体現した人物です。従来の個人という概念を基礎に据えて考えるかぎり、小説がうまく組み立てられないという感触があった。つまり、現実自体がそれではうまく捉えられなくなっているのではないかという感触です。
では、どうやって生きたらいいのか?を考える上で、まさに考えるべきはここだと見定めました。そうして出てきたのが「分人」という概念です。人は誰しもどこかに「本当の自分」という中心を持っているようにこれまでは信じてきたけれど、そうじゃない。人は個人という分割不可能な統一体として存在するわけではなくて、相手や状況に合わせて分化する複数の人格、すなわち分人の集合体でできているという考え方ですね。近未来のアメリカを舞台にした『ドーン』では、この分人主義を全面的に展開しました。
そんな分人主義という観点で『マチネの終わりに』を読むことで、ただの恋愛小説というだけに留まらず、どう生きるか?という点で捉えることが出来き、結果的にそのことを通じて登場人物たちの人間性に深く関わることが出来、作品をより深く楽しむ要素になっていると思います。
分人主義という視点を持たずに見ても、恋愛小説としてハラハラドキドキとして見られる楽しさもありますが、そこから更に踏み込める懐の深さが平野さんの作品にはあると思います。どの作品においても。
では何故、分人主義という点がポイントになるのかと言えば、次の自己のすべてと向き合うに通じていく概念だからです。
③自己のすべてと向き合う
さて、物語を読み進める内に蒔野や洋子の視点になって見ていくと、恐らく多くの人が妬みや恨み、怒りを感じるかと思います(腸が煮えくり返る思いで読む場面があるんです…)
しかし、主人公の蒔野と洋子はその事から目を逸らさず、過去に起きた事、現在置かれている状況、これからの未来を含めて向き合う事を選択します。
選択というよりも、もしかしたら向き合わない事には、その先に進むことが二人の関係においても、自身のこれからについても見いだせなかったのではないかと思います。
この辺りの向き合う様は、分人主義という点でも、如何に生きるか?という点でも、著者自身の向き合いにリンクしている気がします。
また、そうした自分との向き合う事においては、分人主義という観点を用いる事においてのみ向き合うことが出来ると言っても過言ではありません。
ちなみに、映画版ではその表現が上手だなと思いました。
思いもよらなかった事実を突きつけられた蒔野は怒りの感情が高まり、ガラスのコップを握り割ってしまい大切な左手を傷つけてしまう、、、かと思いきやそれは想像上の出来事だったという場面があります。
この事は、事実に怒りを覚えながらも、そこまでに歩んできた過程が同時に存在していて、その事に怒りではなく感謝や愛情が偽らずに存在していることを認めざるを得ない、まさに分人主義的な一面を表した場面と言えます。
小説では、この点を師匠の祖父江との関係性も含めた過去の経緯を振り返りつつ、自分の思いと向き合う形で描かれています。
洋子は、自身のPTSDと時間をかけて向き合い、自分の状態が過去の選択において影響していたことや、自分の未来を見据えた時に不安を抱えつつもすべきことを選ぶ力を取り戻していきます。
洋子は初めて蒔野と出会った時に聞いた、「未来は過去を変える。過去とはそんな繊細なもの」という言葉をことある毎に思い出していたのでした。
まとめ
大人の恋愛小説という点で観るだけでも、十二分に楽しめる『マチネの終わりに』ですが、同時に自分の人生とも向き合う一人の人間の物語としても見ることができます。
また、イラク戦争や東日本大震災といった実際の出来事が織り交ぜられつつ展開する様は、苦難の時を同時に感じている蒔野と洋子の苦しさを読者が一緒に体験するための仕組みとしても機能しているんじゃないかと思いました。
勿論、それが目的ではなく、社会の問題に対して目を向ける余地を作る平野さんの一つの手法だと言えます。
また、個人的には蒔野と洋子のすれ違いについて、作者の平野さんは緻密にその出来事の一つ一つを積み上げておられるようで、その考え方はユダヤ・キリスト教的な厳密さ、緻密さに由来しているような気がしました。
最初のボタンの掛け違いは小さなものなのに、運命と呼ぶには余りにも試練的な様相に、物語のスリリングさを感じる(翻弄される)と共に作者自身も身を削ったのではないかと思わされてました。
同時に、蒔野と洋子を信じてたんじゃないかと。
平野さんの作品においては、どう生きるか?という問いかけが一つ命題としてあると思います。
『マチネの終わりに』では、生きる上での悩みの要因には、自身の選択の他に社会的な状況によるストレスや、置かれた立場による苦悩が、ちょっとしたミスを招き、その事が人生を大きく捻じ曲げられたと感じられる程の展開になることが描かれ、その事実は悩める人にとっては救いにもなると思います。
自分と向き合うという事は、自分を責める事ととは違うんだよ、という平野さんの優しさというか。
自分が感じている苦悩も、過去に経験した喜びも、自身の身体的な苦痛も、その苦痛の最中で選択したことも全て向き合った蒔野と洋子。
その二人を最後まで追いかけた読者へ、マチネの終わりに一つの小さな幸せをもたらしてくれる作品だと思います。
是非、本書を手に取って最後の一幕を、たくさんの人に共有して欲しいと思いました。
名作です!