平野啓一郎さんの『本心』から読み解く他者性と向き合うについて思うこと

平野啓一郎さんの『本心』のネタバレ有りの感想とあらすじ

こんにちは!

今回は、ここ最近ハマっている平野啓一郎さんの新作『本心』のあらすじと感想について書きたいと思います。

本心のHPはコチラ

ネタバレ含みますので、読まれる方はご注意を。

 

最初に目次は次の通り。

<目次>

第一章 <母>を作った事情
第二章 再開
第三章 知っていた二人
第四章 英雄的な少年
第五章 心の持ちよう主義
第六章 ”死の一瞬前”
第七章 嵐のあと
第八章 転落
第九章 縁起
第十章 <あの時、もし跳べたらなら>
第十一章 死ぬべきか、死なないべきか
第十二章 言葉
第十三章 本心
第十四章 最愛の人の他者性

同作より引用

 

最初にこの『本心』でのテーマなのですが、複数のテーマを持った作品です。

思いつくだけでも、

・分人主義
・自由死(安楽死)
・知足
・格差社会(貧困、社会の分断含む)
・AI、VR
・他者性

などなど。

これらのテーマを盛り込みながらも、一つの作品として破綻することなく書き上げる平野啓一郎さんという作家の力量を感じずにはいられないですよね。

特に、分人主義やこの本においては、第十四章のタイトルにもある「最愛の人の他者性」という点や、知足と自由死との関係についてを、森鴎外の高瀬舟を用いたり、登場人物たちの置かれた環境を通して描いています。

また、平野さん自身は自由死という点においては、ある種反対の立場でいると話していました。

そういった選択をしないための分人主義という考え方なのかなと個人的に思っています。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、まずはあらすじから。

 

『本心』あらすじ

初めに『本心』のざっくりあらすじから。

 

母と二人暮らしの主人公の朔也は、ある日、母が自由死を望みながらも突然事故に巻き込まれ帰らぬ人となってしまう。

母がなぜ自由死を望んでいたのかを知りたいと思った朔也はVF(ヴァーチャルフィギュア)の作成を依頼する。

母が生前に出会っていた担当医、職場の同僚の三好、母と深い関係にあった藤原と出会う中で、自分の知らなかった母の存在が浮き彫りになる。

三好との同居生活、同僚岸谷の逮捕、アバターデザイナーのイフィーとの出会い。

様々な登場人物たちと触れ合う中で、朔也は母の本心が何であったかを知ると共に、自分のこれからすべきことを見つけるのであった。

 

ざっくりとあらすじを追うと、以上のような感じなのですが、その間に森鴎外の高瀬舟を用いた戯曲的な作品が本心の中にも登場したり、登場人物の一人藤原亮治の作品の中にソクラテスの逸話の独自の考察があります。

また、時間感覚というものを再認識する『縁起』というアプリが登場するのですが、そのいずれもそれ単体で楽しめそうなくらいの重厚感がありました。

 

続いて、各章ごとに自分がビビっときたフレーズを用いながら少しストーリーを追うようなあらすじも残してみたいと思います。

長いのと、作品を楽しみにしたい方は読み飛ばしてください。ネタバレ濃厚です。

 

引用ありのあらすじ

2040年はAIやVRといった技術の進歩と共に格差社会も益々進歩している。

主人公の朔也(29歳)は、母が生前に望んでいた自由死について、その本心を知りたいと願いVF(ヴァーチャルフィギュア)の制作を依頼する。

最新のAIとVRの技術によって作られた、朔也の母のVFは、生前の時点の記憶を元に作成され、日々会話する中で受け答えをはじめとしたコミュニケーションを、より本人に近づけていくVR上のアバターと言える。

当初はその出来栄えに母を喪失した寂しさを埋めることができた朔也だが、データに無い質問や母らしくない受け答えに苛立ちが募ることも増えていった。

前夜のやりとりを消去するために、母の性格を復元ポイントまで戻すことも考えたが、思い直した。僕だけが、あの悲しいやりとりを記憶していて、<母>の中から、その記録が消えてしまうことは寂しかった。

第一章 <母>を作った事情より

VFの母との新しい生活が始まると、朔也は母が生前に働いていた場所で、一人仲良くしていた人物の存在を知る。

母と三好の関係は、朔也の知らない一面を知ることになる。それは、朔也の父と母の事についても。

 

リアル・アバターとして働く朔也。

依頼者から指示された場所に実際に赴き、指示に従って行動をする。

依頼者の身体の代わりとなるのだ。

 

朔也の仕事仲間の岸谷は、今の生活に疑問をもっていた。

そんな岸谷に朔也は母が生前に「もう十分」と言っていたが、その先に自由死があると思うか問う。

岸谷「そう思わされているんだよ、それは。本心じゃないね。不幸な人生に留まって、大人しくしているように、俺たちはみんな呪いをかけられてるんだよ。バラ肉の牛丼を牛ヒレ肉のステーキ丼だって思い込んでも、バラ肉はバラ肉だろう?添加物でごまかしても、仮想現実でごまかしても、何も変わらない。結局、行動するしかないんだよ、世の中を変えるためには。」

第四章 英雄的な少年より引用

そんな岸谷は不穏な依頼を受けることに。

 

一方の朔也は母の仕事場で仲良くしていた三好とアバター上で会った後、実際に会うことに。

岸谷にも聞いた母の「もう十分」という言葉と自由死への考えを三好にも聞く朔也。

しかし、朔也の中では母の「もう十分」が消化しきれずにいて、岸谷が言っていた「結局、行動するしかないんだよ、世の中を変えるためには」という事を三好に伝える。

「わたしは、辛いな、そんなこと言われると。これ以上、どうしたらいいのって思う。」

第五章 心の持ちよう主義より引用

三好は朔也に自らの不遇な話と共に、自身が整形であることを伝える。

 

折しも日本に勢力の強い台風が来襲し、日本中に爪痕を残していく。

心配になった朔也が何とか三好と連絡がつくと、住んでいたアパートに被害を受けたことを知る。

朔也は、母の使っていた部屋が空いている事を伝え、三好に一時的なホームシェアを提案する。

そうして、三好との共同生活がスタートする。

 

三好は自分が使っている『縁起』というアプリを朔也に教える。

それは、宇宙が始まってから現在までの100億年もの時間を旅することができるものだった。

ほんの一瞬。一瞬とさえも言えないほどの出来事が、今のこの僕という存在なのだ。僕だけでなく、どんな人間でも。

第八章 転落より引用

 

そんな中で、テロ事件の犯人として岸谷が逮捕されたことを知った朔也。

同時並行してリアル・アバターとしての仕事が世間的に風当たりが強くなり、会社からの要求も厳しくなっていった矢先の事。

朔也にある依頼が届く。

真夏の最中スーツを着用して現場へ向かうよう指示される。

いつものように、依頼者の意向に沿ってデパートへ向かう朔也。

ようやく土産物が決まり店員に包装をしてもらっている途中で、「やっぱりやめた」と、急に辞めるように言われる。

そして、また次の土産ものを探すよう言われた朔也は、今回の依頼者は依頼者がお金を払うことでなんでもするリアル・アバターで遊んでいる事に気が付く。

時間を迎えた朔也は、依頼者の了解を得ずにコンビニへ向かう。

これで、仕事の評価は既定値を下回り解雇されると思った朔也。

そのコンビニでレジに並んでいると、前の客が外国人と思われえる店員に差別的な発言をしている。

朔也は店員の前に立ち、その客に向かって帰れと凄んだ。

そうして、リアル・アバターの仕事を辞めた朔也。

 

仕事は辞めたものの、食べていくには別の仕事をしなければならず、アルバイトを始めることに。

しかし、そのアルバイトをする中で朔也は次のようなことを感じる。

僕は、この人たちとは違う。惨めな自尊心に喘ぎながら、僕は念仏のように心の中で繰り返していた。ここは自分のいるべき場所ではなく、去るべき場所なのだった。すると、どうだろう?ここが良くならなければならないという愛着など持ちようがない。

第九章 縁起より引用

 

朔也がアルバイトをしていると元の職場から、朔也に対してリアル・アバターの依頼が殺到しているとの連絡が入る。

中には高額で依頼をしている案件も。

何が起きているのか分からない朔也だったが、ある時インターネット上に、先日のコンビニでの店員を庇う一幕が投稿され反響を呼んでいたのであった。

依頼をしてきた中に、アバターデザイナーのイフィーがいた。

車椅子生活をしているイフィーは、朔也の勇敢な行動に感激し、これまでの倍の報酬を払うので専属のリアル・アバターとして働かないかと持ちかける。

イフィーの大ファンであった三好は、朔也が申し出を受けたことを驚きつつも喜び後押しする。

同時に、母が生前愛読していた本の著者である藤原亮治に手紙を贈る。

また、母が呼んでいた藤原の本を持ち出して読み耽る。

彼は、「ソクラテス以上の賢者は一人もいない」というデルポイの神託に衝撃を受け、しかしそれは、ひょっとすると、自分がこの奇妙な感覚を知っている、という意味なのではないだろうかと、予感するのだった。

しかし、藤原が強調するのは、その際のソクラテスの空虚感であり、この世界に生きていないという苦しみであり、実のところ、彼は共感できる他者の存在を懸命に求めているのだった。

死刑判決を受けた後、脱獄することもなく、自ら毒杯を仰ぐ彼は、酷く疲れていて、弟子たちの動揺を持て余し、もう楽になりたがっている様子は、ほとんど、”自由死”を願う風だった。そして、その心境を描く藤原の筆は、当惑するほど優しかった。

第十章 <あの時、もし跳べたらなら>より引用

 

イフィーのすすめもあり、イフィーの自宅へ三好を招いて三人の交流が始まった。

三人で交流をする中で、イフィーが三好に好意を抱いていることを知る、

同時に朔也自身も三好に好意持っている事に気が付く。

 

ふしぎなことだろうか?結局、人は、ただ側にいるというそれだけの理由で誰かを好きになるのであって、逆に言えば、側にいる人しか好きになれないのだった。

ふと、吉川先生は、<母>がVFであることを、理解しているのだろうかという疑念が過った。認知症といった話は聞いていなかったが、最後はどうだったのだろうか?

分かった上のことならば、まったく愚かだった。しかし、だから何なのだろう?<母>は「わかる」と言った。そして、実のところ、僕にも「分かる」気がしていた。

第十一章 死ぬべきか、死なないべきかより引用

そして、この頃から朔也はVFの母と会話する機会が減っていることに気が付く。

 

その年のクリスマスに、朔也と三好はイフィーに内緒でプレゼントを贈ることにした。

しかし、プレゼントを買いに行く前にイフィーからリアル・アバターとして出かけたいという申し出を受ける。

三好はそれじゃあサプライズにならないと拗ねる。

プレゼントを選び終わった時に、イフィーは朔也を通じて気持ちを伝えようとする。

朔也は、自分の気持ちの中において、三好とは同居人であるという誓いと、三好への自分の気持ちを伝えるかとの狭間で揺れる。

三好へ気持ちを伝えた未来と伝えなかった未来。

どちらも、宇宙の100億年という時間の中でみれば本の一瞬のことであると思う朔也。

・・・しかし、こんな誇大な考えは、一人の人間を前にして、何かの行動を促すには、却ってあまりに無力だった。たとえ、あとから振り返って、それがどれほど痛切に感じられようとも。

第十二章 言葉より引用

朔也はイフィーからの言葉をそのまま三好に伝えた。

 

三好とイフィーは、付き合う事になりイフィーの元で一緒に暮らす事になった。

ある時、イフィーからの途絶えていたリアル・アバターの依頼を再び再開して欲しいと依頼を受ける。

同時に朔也も自分の中で、日本に住む日本語も母国語も不自由な人に向けて、語学を教える非営利団体に関わっていきたいと考えるようになっていた。

そのサポートをイフィーに依頼したいとも考える。

そんな折、藤原から一度会わないかと以前送ったメールに対して返信をもらう。

 

朔也はもしかしたら自分は藤原の息子なのではないか?と思いつつ藤原に会って母のことを聞こうと決心する。

そこで母と藤原の関係と共に、母が出産を望んでいた事、そしてどのようにして妊娠して出産に至ったかを知ることになる。

と、同時に母が何を一番に望んでいたのかを理解すると共に、はじめて母の「本心」と出会う。

「最愛の人の他者性と向き合うあなたの人間としての誠実さを、僕は信じます。」

第十三章 本心より引用

 

母の本心を追う中で知ることになった母の願い。

すっかりわかったなどと言うのは、死んでもう、声を発することが出来なくなってしまった母の口を、二度、塞ぐのと同じだった。僕は、母が今も生きているのと同様に、いつでもその反論を待ちながら、問い続けるより他は無いのだった。わからないからこそ、わかろうとし続けるのであり、その限りに於いて、母は僕の中に存在し続けるだろう。

第十四章 最愛の人の他者性より引用

 

そして、朔也は日本語が不自由な人向けに支援をする団体で働くことになる。

僕は、その声の響きに打たれ、自分は、こういう人たちと関わりながらいきていくべきなのだということを強く感じた。それは、僕自身が変わるためにも必要なことだった。

第十四章 最愛の人の他者性より引用

 

以上です。

最後の方は、ネタバレが過ぎると思い自重しました。

また、多くが抜けていると共に大枠を追っているだけなので、原作と異なる部分もあると思いますが、一読者の書いたものであると思ってご了承ください。

さて、次はこの本心を呼んでの感想をば。

 

『本心』の感想

さて、ここからは『本心』を読んでの感想に移ります。

感想については、次の三点についてです。

・自分が好きな作品の共通点
・合理的であろうとする人の動機は非合理的
・最愛の人の他者性と向き合う強さ
・他者性と向き合う事の重要性
・縁起

 

自分が好きな作品の共通点

最初に自分が様々な作品にふれる中で好きだと思う作品に共通することを朧げながら理解しました。

それは、登場人物の内面の変遷です。

『本心』に登場する朔也も、母の本心を探る中で様々な人と出会います。

母と朔也の二人だけだった世界から、最愛の母がいなくなったことで感じていた寂しさを、三好やイフィーと出会う中で少しずつ忘れ、自身がこれから関わりたいと願うものを見つけるまでに変遷を遂げる様にとても惹かれます。

平野啓一郎さんの分人主義という点でも、母との分人の割合が多かった状態から、三好といる分人、イフィーという分人の割合が増え、更に日本に住みながらも言葉に苦労をしている人に手を差し伸べたいと思うなど、関わる人の変化にともない朔也の分人の割合が変化していきます。

そして自分がどうなりたいのか?を見つけていく様が印象的でした。

 

合理的であろうとする人の動機は非合理的

『本心』の中で印象的だったものがいくつかありました。

最初に第十章の以下の引用です。

しかし、藤原が強調するのは、その際のソクラテスの空虚感であり、この世界に生きていないという苦しみであり、実のところ、彼は共感できる他者の存在を懸命に求めているのだった。

死刑判決を受けた後、脱獄することもなく、自ら毒杯を仰ぐ彼は、酷く疲れていて、弟子たちの動揺を持て余し、もう楽になりたがっている様子は、ほとんど、”自由死”を願う風だった。そして、その心境を描く藤原の筆は、当惑するほど優しかった。

ソクラテスという人物についての考察とも言える内容ですが、ギリシャの偉人と思っていたソクラテスも最後は言論のために毒杯を飲んだというような印象を持っていました。

しかし、もしかしたらただ楽になりたいと願って毒を仰ぐことなったのだとしたら?と思うと、自分が好きな宮台真司さんが師匠の小室直樹さんの言葉を引用して次のようなことを言っていたことを思い出しました。

合理的であろうとする人の動機は不合理なものである。

合理的な決断をしている人の本心は合理的なものなんかじゃなく、とても個人的で不合理な理由によっている、と。

一方で、朔也の母に関しても同様で、合理的に子どもを授かろうとしたわけですが、その本心は至ってシンプルで個人的な願望である「ただ子を授かりたい」という願いだけでした。

第十三章で次の一節があります。

母はただ、子供が欲しかったのだった。「もう十分」と思いつめた果ての、一つの平凡な願望として。その欲しいものを、自分の体を使って生み出したのだ。僕は改めて、その単純な事実に感嘆し、目を瞠り、心から敬服した。

母の自由死を願う本心を探る中で突き当たるこの事実。

朔也としては、きっと母の本心として自由死を願ったのは、子共が欲しいという願望を達成したことが「もう十分」という思いに至ったのでは無いかと考えたのだと思いますが、その事は、永遠に分からないからこそずっと向き合い続けること決意します。

 

最愛の人の他者性と向き合う強さ

さて、朔也は母が子供が欲しいという願望を叶えた事を知りました。

最初はこの点はサラッと読み流したのですが、ちょっと待てよと思ったんです。

自分という存在は、母の子共を授かりたいという一心で生まれた事を知ったわけです。

この事実を受け止める時にどのように考えるのか?が大きなポイントのような気がしたんです。

朔也は藤原に次のような事を言われます。

「最愛の人の他者性と向き合うあなたの人間としての誠実さを、僕は信じます。」

自分だったら、母親の個人的な願望で生まれた存在であるに過ぎないと思ったり、他人と比較してしまって、愛する人同士の間で望まれて生まれたのとは違うと考えてしまうと思ったんです。

しかし、朔也は文字通り母の他者性と向き合い続けることを決意します。

僕は、母が今も生きているのと同様に、いつでもその反論を待ちながら、問い続けるより他は無いのだった。わからないからこそ、わかろうとし続けるのであり、その限りに於いて、母は僕の中に存在し続けるだろう。

ここに朔也の強さを感じざるを得ませんでした。

もう一つ、朔也は次のように語ります。

何のために存在しているのか?その理由を考えることで、確かに人は、自分の人生を模索する。僕だって、それを考えている。けれども、この問いかけには、言葉を見つけられずに口籠ってしまう人を燻り出し、恥じ入らせ、生を断念するように促す人殺しの考えが忍び込んでいる。勝ち誇った傲慢な人間たちが、ただ自分たちにとって都合のいい、役に立つ人間を選別しようとする意図が紛れ込んでいる!僕はそれに抵抗する。

朔也のこの言葉は、母の他者性に向き合った朔也だからこそ発することができたのではな無いかと思いました。

朔也が自身の事を鑑みても、同時に何のために生きているのかと自分に問うほどに追い詰められている人への共感の意味でも、この言葉は支え以上に人を奮い立たせる力があると思います。

同時に、平野さんの自由死や人を死なせないという思いが込められているように感じました。

 

他者性と向き合う事の重要性

自分自身は人の他者に鈍感であると昨今痛感しております。

で、どちらかと言えば自分と向き合ってばかりいるなと思いました。

ただ、人との関わりというのは、物語の当初に朔也が母の事を”母といる自分の分人”でしか知り得ていなかったように、他者性に向き合うには自分と相手だけで他者性を知るのは難しいのではないかと思いました。

最近、野末武義さんのアサーションに関する本を読んだので、そうしたアサーティブな接し方を行うことでもしかしたら、これまで知らなかった相手の本心の別の側面を見ることが出来るのかもしれないと思います。

でも、朔也のように関わりのあった人たちに相手のことを尋ねてみることで見えるものがあるかもしれません。

そんなことも思いました。

この他者性に向き合うという点は、見方を変えれば相手の立場で考えるということであり、自分の杓子定規で物事を見るのでなく、相手は相手の価値観を持っている事を知ろうと、相手の反応を見たり、会話を通じて相手の思いを知ることだと思います。

相手の立場を少しでも理解する時に、自分を好きだと思える分人がまた増えるんじゃないかと思います。

 

縁起

平野啓一郎さんの『本心』では、その他にも個人的に仏教の縁起という概念が登場したことは興味深かったです。

『私とは何か』や平野さんのTEDで分人主義の話を聞いた時に、人との関わりの数だけ分人が存在するという考えは、「縁によりて起こる」とい縁起の概念そのものじゃないかと思ったんです。

そう思ってた矢先に『本心』が発売され、最初に目次を見た時に『縁起』という章があってビックリしました。

平野さんも仏教的な概念に関心を寄せていることが分かり、なんか、平野さんを理解できた気がして少し嬉しかったりしました。

 

『本心』の中では、縁起という宇宙誕生から現在という膨大な時間の中において、人と人が関わる時間やその人の一生は本の一瞬に過ぎないことを自覚するきっかけになるのですが、そうした長大なものは、現実の決断には無力だと言います。

しかし、こんな誇大な考えは、一人の人間を前にして、何かの行動を促すには、却ってあまりに無力だった。

話が飛ぶのですが、ユニコーンガンダムにも似たような話が出てきます。

争い合う人が理解できたとしても、その先にある未来は虚無であると。

だから、理解し合うことに意味が無いというフル・フロンタルに対して、主人公のバナージは心に感じる温かさこそが理解し合う意味であると対抗します。

しかし、なにかにつけて”生きる意味”を問うことはあると思いますし、それが人間なのだと思いますが、その意味を他人が問うことが人を苦しめたり、死においやると先ほど引用しました。

十二縁起においても、呉智英さんの『つぎはぎ仏教入門』の中で、例えば「愛」というものは妄執であると解説されていました。

無明から始まり様々な欲や煩悩を持つことは否定しないけど、その事が悩みを生むのだと。

意味を見出そうとすることは、各も人を苦しめる。

そう考えると、意味も欲も持たない方が良いのだと思うかもしれませんが、これは、ある意味独りよがりな場合はそうだと言えると思います。

 

平野さんの分人主義が画期的だと思ったのは、人を愛することは相手を必ず経由して自分がその人と居て楽しいなど幸せを感じる事だという点です。

つまり、他者性を経由しない欲や意味は人を苦しめるが、他者を経由する欲や意味は自分を幸せにする。

もちろん、自分だけが幸せになろうとすれば、経由する相手から疎まれるので、結局は幸せになれない点も見逃せません。

最愛の人の他者性に向き合うということに集約していくと思います。

縁によりて起こるのは世の理と言えますが、他者性に向き合う(他者を経由する)のか、ただ他者を認識するのみで自分だけと向き合うのかで得られるものが大きくことなるんじゃないかと思います。

 

まとめ

さて、感想が長々となってしまいました。

平野啓一郎さんの『本心』は、多岐に渡るテーマかつ深い哲学を秘め、更に他者性に向き合うということの重要性を朔也を通して描いた作品だと思います。

格差社会や責任ある立場にいる人の無責任さを感じる現代ですが、不足しているのは大小様々な他者性に向き合うという点にあるんじゃないかとすら思えてきました。

他者性に向き合うというと、他人と向き合うことでもあるのですが、最終的には自分に立ち返ってくるわけですから、自分自身とも向き合うわけです。

また、他者性に向き合うということは、自分には見せていなかった他者性の一面と向き合うことであり、それは多様性ともつながると思います。

 

と、少し面倒くさい感想になってしまいましたが、一つの近未来の小説という点でも楽しめる作品であることも本書の魅力であることは間違いありません。

これから平野さんの過去作品を読もうと思いますが、テーマにどんな変遷があるのか興味深いです。

今、『マチネの終わりに』を読んでいますので、その感想も書きたいと思います。