『いやな気分よ さようなら』~デビット・D・バーンズ~の要約と感想!

こんにちは!

今回は、精神科医であるデビット・D・バーンズさんの認知行動療法について書かれた『いやな気分よ さようなら』についての要約と感想を書きたいと思います。

この本は自分の会社の同僚で、現在臨床心理士を目指している友人に教えてもらいました。

目からウロコな内容が盛りだくさんで、自分自身も認知療法の考え方を知り、自分の思考の癖を知ることが完全ではないにしろ出来たと思います。

自分の思考の癖をどのように考えればネガティブな方向に進まないで済むかを、実際の患者さんとのやり取りやダブルカラム法などの手法の例を知ることで、実際の自分の思考や行動、気分に変化を感じることができました。

 

この本をおすすめしたい人

この本をおすすめしたい人は、以下に当てはまる人です。

①いやな気分になってしまう人の思考とその理由を知りたい人
②いつも認められたいと思ってしまう思考から脱却したい人
③完璧主義によって苦しいと思うことから脱却して自己肯定感を上げたい人

上記に自分自身が当てはまらないとしても、周囲にいる人で「なぜこんなにマイナス思考なのだろう?」と思う人は、その思考パターンが分かることで、他者を理解する手助けになると思いました。

 

デビット・D・バーンズさんとは?

さて、話を進めていく前に著者であるデビット・D・バーンズさんについて簡単に紹介しておきたいと思います。

バーンズさんは医師の資格をとった後、ペンシルベニア大学医学部にて精神医学の大家であった、アーロン・T・ベック教授のもとで精神医学を学びました。

1980年にアメリカで認知行動療法についてをまとめた本書(英題『FEELING GOOD- The New Mood Therapy』)を発刊しました。

数々の軽度〜重度のうつ病の患者さんに対して認知療法を行うかたわらで、精神療法、薬物療法をペンシルベニア大学で教えていました。

現在79歳ですが、精力的に活動されている様子です。

『FEELING GOOD』というバーンズさんのHPもありました。

バーンズさんの先生のベックさんは惜しくも2021年に100歳で天寿を全うされていました。

100歳ってすごいですよね!

 

認知行動療法とは?

さて、認知行動療法とはなんぞやという方もいると思います。

簡単に言えば、ある出来事に対して、自分の認識の誤りを知り、合理的な考え方で再度考え直してみようというものです。

日常的にあることで例えると、「やる前は不安だったのにやってみたらなんて事はなかった」という経験はありませんか?

こうした経験はたくさんあるはずなのに、なぜかそうした自分のポジティブな経験よりも、ネガティブな経験がほとんどだと決めつけてしまう事を認知の歪みという言い方をします。

認知行動療法というのは、そうした認知の歪みを正していくことだと言えます。

今回の感想もアバタローさん方式で「序論・本論・結論」型を用いていきたいと思います。

早速いきましょう。

 

序論:筆者の主張

最初にこの本が出版されたのは1980年です。

『いやな気分よ さようなら』の「はじめに」にの冒頭にバーンズさんが本を書いた目的が書かれています。

「この本で私は、人生を明るく生き、憂うつな気分をなくすための最新の科学的方法をお示ししようと思います。~中略~この治療(認知療法)では、ものごとの見方を変え、たとえうちひしがれている時でも、気分を改善し、生産的に振る舞えるよう訓練を行います」

つまり、認知療法を用いて日々の憂うつな気分を改善して、生産的に振る舞えるようになっていく方法が書かれた本だと言えます。

その根幹にあるのが「認知の歪み」であり、この「認知の歪み」を自覚すると共に俯瞰して見ることで憂うつな気分を生み出している事柄を合理的に解釈できるよになるので、その結果憂うつな気分を改善していくことができるようになるのです。

私がこの本を読んで深く感銘したのも、この自分自身の「認知の歪み」を俯瞰して捉えられるようになった事です。

「認知の歪み」を俯瞰して捉えるというとなんか難しそうですが、簡単に言うと次の通りです。

例えば、「明日の仕事が不安だな」と思って憂うつになっていたとします。

この不安を感じている時に自分の心の声を表すと次のような感じです。

「明日の仕事が不安だな。まだ習って無い事が多いし、その事で怒られたら嫌だな。それにお客さんにも迷惑かけちゃうし、もっとしっかり教えてくれてからじゃないと仕事できないよ。もう一日中緊張したままでいることになるなぁ」

これは丁度この本を読んでいた時に、私が始めていたWワークでのバイトの事なのです。

ただ、誰しもが同じような不安や不満を抱えていた事があるんじゃないかと思います。

ただ、この不安に感じて出てきた自分の心の声ですが、一見すると何も不思議もないというか、「こういう不安な気持ちにはなるよなぁ」と思うのではないでしょうか?

しかし、認知療法的な視点から見るとこの心の声、全くもって見当違いな事で不安を感じていると言わざるを得ないのです。

どういう事かを次の主張の理由・根拠で詳しく解説していきます。

 

本論:主張の理由・根拠

①認知の歪みによる非合理的な思考

さて、先ほどの始めたばかりのバイトの不安ですが、これはバイトを始める前に応募する段階でも根本的に似た不安を抱えていました。

「仕事覚えられるかな?ブラックなバイトじゃないよな?怖い人がいたらどうしよう。最初は怒られてばかりでストレス溜まりそう」

という感じです。

こうした不安は未来の出来事をイメージして、想定される問題を現状の自分が分析した結果だと言えます。

しかし!!

ここにこそ認知の歪みがあるわけです。

どういう事かと言えば、まず当たり前のことですが、これらの不安というのはまだ起こっていない未来の出来事であり、更に言えば未来でも起こるか分からない出来事、つまり完全な妄想でしかないわけです。

良く言えば想定される出来事に対しての備えをしているとも言えなくないのですが、備えるならば不安に感じるのではなく対策を考えれば良いわけです。

ただ、妄想に対しての対策を考える事は果たして有用な事だと言えるでしょうか?

私の場合は後から振り返ると大体の場合において、杞憂で終わったパターンが多いです。

とは言え、不安な妄想をしてしまうのは、生物の進化上必要な事だという点は押さえておきたい所です。

これは、認知機能脳科学者の苫米地英人さんもフェルミ大学の動画でも言っていたことですが、狩猟をしていた頃は今と違っていけいけドンドンだったのか、慎重な人が生き残ったみたいなんです。

いけいけドンドンで行った結果、敵にやられる、敵の罠にはまる等々、少し慎重になれば対処できた事に対処しなかった結果命を落としてしまう。

慎重になる事の大切を世代を重ねる毎に磨きをかけてきたと言っても良いでしょう。

その結果、行動することに慎重になってしまうのは必然なのかもしれません。

でも、その為に自分のメリットになる行動を制限するのは勿体ないと言わざるを得ません。

そこで、その人間の進化の産物に対して、現代の認知の仕組みを理解し、俯瞰して合理的に考える事で克服して行けるようになる事が求められます。

 

②認知の歪みのパターンは10個だけ

さて、自分のネガティブな思考に対してどのように向き合って行けば良いでしょうか?

その為に、まずは認知の歪み=思考のクセを把握する所からスタートします。

『いやな気分よ さようなら』の中では認知の歪みの定義として10個の思考パターンを紹介しています。

1.全か無か思考(all-or-nothing thinking)

ものごとを白か黒かで判断しようとする。中間的な判断やあいまいさを許容することができない。特にネガティブな判断をする傾向にあり、完璧主義者になりがちである。好き-嫌い、良い-悪い、正解-間違い、成功-失敗の二極の選択肢しか持たない。1つでも悪い点があれば失敗・不合格・欠陥だと判断してしまう。

2.一般化のしすぎ(overgeneralization)

わずかな出来事からネガティブな法則を導き出してしまう。1回失敗をしたとしても努力を続けていれば成功する可能性がある。しかし、1度失敗を経験してしまうと次回以降も必ず失敗すると決めつける。1度起きたネガティブな経験は必ず繰り返すと決めつけてしまう。「いつも」、「絶対に」、「みんな」という単語を用いることが多く、「いつも私は嫌われる」、「絶対に失敗する」、「みんな私に優しくしてくれない」といった話をする。

3.心のフィルター(mental flitar)

良い面や良い結果を目を向けず、悪い面や悪い結果にだけ目を向けてしまう。自分の長所や人にほめられたことは頭に残らず、自分の短所や人に非難されたことばかりが頭に残ってしまう。そのため生きていても暗い気持ちにしかならず、何かを積極的・前向きに取り組むことができない。

4.マイナス化思考(disqualifying the positive)

良い結果でも悪く解釈する。うまくいっても「まぐれだ」と解釈したり、ほめられても「本心ではバカにしている」と受け取ったりする。前述の心のフィルターは良い面や良い結果を無視するが、このマイナス化思考は良い面や良い結果を悪いものに置き換えてしまうため、心のフィルター以上にやっかいな歪みである。

5.結論への飛躍(jumping to conclusions)

根拠もないのに飛躍した結論を導き出す。相手の心を深読みしたり、将来を先読みしすぎて悲観的になったりする。例えば、不機嫌そうな人を見ると、実は体調が悪いだけなのに、「自分のことを怒っているんだ」と推測してしまう。または、「どうせ私は一生孤独だ」と将来について断定的に悪い予測をしてしまう。前述の一般化のしすぎは、わずかでも根拠(事実)があるのに対し、結論への飛躍は根拠(事実)が無いため、一般化のしすぎ以上にやっかいな歪みである。

6.拡大解釈と過小評価(magnification and minimization)

自分の失敗や短所を過大視し、自分の成功や長所を過小評価する。ささいな失敗を「この世の終わり」のようにとらえたり、成功を「たいしたことない」ととらえてしまう。わずかな失敗を根拠にすべておしまいだと解釈するという点では、全か無か思考とも言える。

7.感情的決め付け(emotional reasoning)

感情を根拠に結論付けてしまう。「あの人は私をイライラさせる。だからあの人はサイテーな人間だ」、「不安だ。だから失敗するにちがいない」というように、不安や怒りなどネガティブな感情にとらわれると、ポジティブな感情が生まれにくくなってしまう。ネガティブな面だけが強調されるという点では前述の心のフィルターとみなすこともできる。

8.すべき思考(should statements)

「~すべき」、「~にちがいない」といった自分の価値観を持ち、その価値観に従わなければならないと過剰に考えてしまう。価値観に従って行動するため、つらいことやイヤなことでも頑張ってやり続けようとしてツラい思いをしてしまう。また、他人にも同じように期待したり押しつけてしまったりするため、期待通りにならないと落ち込んだり、相手を怒ったりしてしまう。

9.レッテル貼り(labeling and mislabeling)

一般化のしすぎが行き過ぎて、ネガティブなイメージを固定化してしまう。「私はダメ人間だ」、「あの人は冷血人間だ」とレッテルを貼ってしまう。一度レッテルを貼ってしまうと、そのイメージと異なる言動があってもレッテルを剥がそうとせず固定化したイメージを持ち続けてしまう。過剰な偏見、ネガティブな先入観を持っているため、前向き・肯定的な発言や行動ができなくなってしまう。

10.個人化(personalization)

自分でコントロールできないことも自分のせいだと考える。「子どもが非行に走ったのは育児がダメな自分のせいだ」、「夫が失業したのは支えなかった私のせいだ」、「部下が退職したのは育成できなかった自分のせいだ」などと考え、とにかく「悪い出来事は自分が原因」という結論付けをしてしまう。

本書およびこちらより引用

10個というとまぁまぁあるように思いますが、一日に思考している数(約6万回)からすれば、かなり絞っていると思いませんか?

一つ一つの項目を見ていくと思い当たる内容があるんじゃないでしょうか?

個人的には5.結論への飛躍にある「例えば、不機嫌そうな人を見ると、実は体調が悪いだけなのに、「自分のことを怒っているんだ」と推測してしまう」とか4.マイナス化思考、10.個人化などに共感しました。

っていうかどれも全部当てはまると思っていました。
言い方を変えれば認知が歪みまくりです(笑)

でも、自分自身では全く気が付かないだけでなく、合理的に考えているすら思っていました。

今にして思えば、合理的ではなく論理的に推測しているだけであり、更にはその推測の根本はただの妄想である事に気が付かないでいるので、妄想上の論理である事が分かります。

このように出発点から既におかしな事になってたら、出る結論もそりゃおかしい事になる訳ですよね。

大切なことは、自分では合理的・論理的考えているという事が本当なのかを冷静に見つめる事から始めていくことだと思いました。

③合理的に考えるための方法

自分の考えた事が認知の歪みによるものなのかを考えるにあたり、この本では様々な方法が取り上げられています。

その中でも、代表的なものがダブルカラム、トリプルカラムを使った方法です。

ダブルカラムであれば紙の真ん中に線を引いて、左側には自分の思考、右側は認知の歪みに気がつくと共に歪まずに考えたらどうなるか?という内容を書き出します。

先ほどの自分のバイトの応募前の思考で考えてみたいと思います。

【自動思考】                  | 【合理的な思考】

①仕事覚えられるかな?             | これまでの仕事も覚えてこられた。
②ブラックなバイトじゃないよな?        | 行ってみないと分からない。
③怖い人がいたらどうしよう。          | これも行ってみないと分からない。
④最初は怒られてばかりでストレス溜まりそう   | 怒られるかは分からない。

(※自動思考とは、自分が普段考える内容)

ここに先ほどの認知の歪みの定義の10パターンを追加すればトリプルカラム法になります。

①~④自動思考に対して認知の歪みの定義を当てはめると、
①(拡大解釈と)過小評価、マイナス化思考
②結論の飛躍(先読みの誤り)
③結論の飛躍(先読みの誤り)
④レッテル貼り、結論の飛躍
という感じで自動思考には認知の歪みがあると言えます。

合理的な思考で考えてみると、これまでの仕事もいきなりは無理にしても、人よりも覚えるのが早いと言われた事もあるし、今個人的におかれている仕事(本業)では、一目置かれる位になっています。

また、先々の事を悪い方向に予見する結論の飛躍が多いのですが、これは先ほどの進化の過程によるものだと言えそうですが、やってみなければ分からない事柄に不安を感じる意味は無いですよね。

このようにして、自動思考によるネガティブな思考には認知の歪みが紛れ込んでいることを理解した上で、合理的な思考で考えみると、とりあえずやってみようという気になれそうです。

 

個人的な体験上、自分の思考における認知の歪みを理解したとしても直ちに気分がスカっとする事はそんなにありませんでした。

少しでも妄想できる瞬間があるとネガティブな妄想をして、その度にこれは認知の歪みであり、思考のクセが昔のままだと思うことで、段々とゆとりが生まれてきたという感じです。

そうすると、徐々に身体(頭)の方もスッキリしてきて、どことなく合理的な思考に基づいて行動してみようという気が湧いてきました。

「やってみてダメならそれでいいじゃない」が自動思考として考えられるようになっていった感じです。

その結果、Wワークを始める事が出来たわけです。

ちなみに、Wワークを始める前に考えていた事の9割は外れていました。

残りの1割は別の意味で忙しさや研修的なものが無いことでの不安を感じる事がありましたが、これもやってみて初めて経験できたことでしたね。

 

結論:まとめ

『いやな気分よ さようなら』の結論ですが、ネガティブに考えて行動できない人や鬱々とした気分が晴れない人は認知の歪みによって、合理的な思考が出来ていない可能性が高いことがまず挙げられます。

その認知の歪みを知ることから始めて、ダブル(トリプル)カラム法で自動思考と合理的な思考を書き出して見ることを繰り返すことで、自分の思考のクセを合理的な思考に少しずつ変えていくことができ、結果として一番大切な”行動してみる”ようになる事が認知療法の最大の効用だと思いました。

実際に自分自身も日常の中で起こるいやな気分になった時に、「~さらたら」とか「~になったら」など起こっていない出来事でネガティブに考えてしまうことがあったら、認知の歪みが起きていると認識して合理的に考えるようにしています。

そうすることで、未来のことで深く悩むことは減りました。もちろん、想定していない形で瞬間的にいやな気分になる事はありますが、そうした事態に遭遇した時というのは思った以上に普通に対処出来るんですよね。

この事から後からその事を思い出したり、似たような状況になりそうな時にその記憶の悪い部分だけを思い出していたのですが、この本を読んでからは実際に自分が出来た事やたいしたことが無かった記憶を思い出すことで、合理的に考えられるクセが少しずつ身に付いてきたと思います。

感情ではなく、合理的に物事が判断できるとすべき事、すべきではない事を決める事にも苦労することが減ると思います。

 

自分との向き合い方

以降は駄文なので、読まないでも大丈夫です。

自分と向き合う事の大切さを説く本や教えはたくさんあると思います。

でも、その一つの罠が自分の思考にはクセがあり、全てそのフィルターで見てしまうと自分と向き合ったとしてもネガティブ面だけしか見えずに凹んでしまう事にあると思います。

認知の歪みの定義を知る事で、実は自分としては合理的な思考だと思っていた事が、全く合理的では無かったことに気が付く事で、初めて自分と向き合う最初の一歩を踏み出したと言えるのではないでしょうか?

 

自己肯定感について

ダブルカラム法やトリプルカラム法、その他にも一日の自分の行動で良いと感じたことがあれば、それをカウントするという事も本書で紹介されています。

自己評価の低い人が、自分は取るに足らない存在だという認知の歪みを持っていた人が、ささいな良い事をカウントしていったら以外な程の数になり、自分を良いと思える事がある事に気が付けるというものです。

これも認知の歪みの一般化のしすぎやマイナス化思考によって見えていなかったけど、日常に存在していた部分が認知できるようになった結果です。

この他にも中程度に考えるというものがあるのですが、全か無か思考によって100点以下の行動はすべて0点という評価をしている人は以外に多いと思います。

かくいう自分がそうでした。

でも、例えば一日のバイトを振り返ってみると、全か無か思考の時は「あっあの仕事忘れてた」とか「翌日の人に仕事を残してしまった」等、「なんて自分は仕事ができないんだ」と考えてしまいます。

でも中程度に考えるという視点で一日のバイトを振り返ってみると、今日のそうじの目標60点だとして実際に自分がやった掃除はどうだったかを考えてみると、まず全部の工程をこなすことが出来た、誰も気が付いていない所の汚れを落とせた、進んで取り組めたという良い部分を思い出すことができ、結果的に80点をあげてもよいじゃないとなります。

60点からすればプラス20点です。

自分もなかなかやるじゃない!と自己肯定感が上がるわけです。

完璧主義な人にはこの中程度に考えるというという部分を是非読んでみて欲しいと思いました。

 

都合よく考える人間

今回の認知の歪みついては、ネガティブな方向に考えるだけでなく、人間は都合良く考える一面も持っていると思います。

例えば仕事において一つ確認することを忘れてしまった時に、「これまでこの部分で大きな問題になったことは無いから大丈夫だろう」という感じで、一瞬の面倒くささに負けて放置した結果、大問題に発展してしまうという事はままあるのではないでしょうか?

一般化のしすぎという認知の歪みが起きていると言えます。

このように考えると何かを想定するという事のバランスにおいて難しさを感じてしまいますが、考え方を変えたらどんな想定をする場合においても常に俯瞰した見方を心がけるきっかけになると思います。

自動思考をした時に時間的な猶予があれば、合理的な思考を働かせてみる。

自動思考で考えてすぐに行動した結果、嬉しくない結果となってしまったその時も、自動思考で自分を卑下したら合理的な思考で考えて認知の歪みに気が付く。

逆に嬉しい結果だったのであれば、良かった出来事としてしっかりと記憶しておくことで、一般化のしすぎやマイナス化思考などなった時に「いやあの時は上手くできた」という形で使うことができます。

人間が都合よく考えるものだと心得ておくこともまた認知の歪みを解消するヒントになるんじゃないかと思いました。