【転職55】本日やった事と感想

【終わったタスク】8/20(木)

◆勉強

・Python IVの6-10までやる。

 →Pythonの6-10まで完了。ProgateのPythonがすべて完了。

・Ruby開発で使えるgem。

 →:https://techacademy.jp/magazine/9776

 パッケージ管理ツール『gem』を徹底解説

 →:https://blog.codecamp.jp/rails-gem

 初心者に贈る絶対に使いたくなるGem15選

 →:https://ferret-plus.com/4883

・具体的な開発の流れを一から解説

 →:https://www.sejuku.net/blog/96900

・基本情報技術者試験試験過去問13-16実施。

・GO言語について。

Googleが開発した静的型付け言語のGOは気になっていますが、まずは自分はRubyでWEBアプリを作るのが先。とは言え、ゆくゆくを見据えて面白い内容でした。

◆運動

無し。

◆その他

・8/21の予定を決める。

・転職ブログ更新。

・ダイエットブログ更新。

・家計簿付ける。

・無駄無しまかない道場で料理の勉強。という名のお気楽タイム。

 

明日の晩ご飯に何を作るか考えていた時に、夏バテにぴったりなニンニクスープを小田原の居酒屋まねき屋のまかないさんが作っていました。

ニンニクスープ美味しいですよね。

鳥ももはないので、胸肉で代用して作ってみようかなと思います。

【感想】

最近聞いた話で、日本の憲法は機能しているのか?と思ったことが2つ。

一つは、義務教育についてです。同僚の友人のお子さんが、私立の小学校に通われているそうなのですが、コロナの影響で登校しない代わりにタブレットが支給されたり、オンラインで授業を受けることが出来たそうです。

一方で、その友人の方の周囲にいる公立の学校に通う子たちは、タブレット支給やオンライン授業が受けられないそうです。理由は、家庭におけるインターネット環境の差があるため。もう一つは、学校で使用する教科書の著作権の問題があるからだそうです。学校の授業において使用することはできるが、オンラインで使用するには別途著作権が発生するためというのが理由とのことでした。

この話を聞いて思ったのは、憲法における義務教育でした。

”憲法第26条第2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。 義務教育は、これを無償とする。”

憲法ではそのように規定されています。

が、ここで考えるのは”保護する子女に~”という点ですが、これは親が今回の場合で言えばインターネット環境やパソコン、タブレットを用意しないと憲法違反になるということでは無いという点です。

一見すれば、保護する子女の親が教育を受けさせる義務を負うとなっているので、その責任が親にあるように思います。でも、実際はそうではありません。

憲法が誰に対して向けられたものであるか?という点で考えた時に、憲法とは国家権力に対しての命令書であり、国家権力を縛るものである言えます。

そうなると、勉強の環境を作るのは憲法に照らせば、国が環境を作ったり、著作権料が発生するならば負担して教育を受けさせる必要があるわけです。

ただし、日本の法律の穴というか矛盾がたくさんあるようです。例えば、児童労働については憲法においては酷使してはならないとされていますが、民法第5条および6条では法定代理人の同意があれば個人事業主とすることができ、その個人事業主となった子どもは未成年者としての保護が無くなるというのもそうです。

少し話は反れましたが、憲法が国家権力への命令書であるならば、国民の代表である国会議員は、国会においてこれらの問題を解決するべく立法する必要があると言えるわけです。

もう一つ、気になったニュースがこちらの記事→:https://news.livedoor.com/article/detail/18759241/

ジャンプに対して、「エロ」と「性暴力」の違いを区別してというキャンペーン。

『ぼくたちは/男子たちは 狼なんかじゃない。 少年ジャンプは「エロ」と「性暴力」の違いを区別してください。』

このニュースを読んで思ったことは、1つは人権意識の高さが若い人の中で育っていることに驚くと共に、妙な嬉しさを感じました。

このキャンペーンをするきっかけとなった友人の、

「相手の同意を取らずに性的な行為をするのは性暴力で、相手の心を傷つけること」「女性の体を見境なく性的に見ることは当然のことではないこと」

という言葉には、深い思索からの決意を感じました。同じ年頃の時の自分では想像すらしえない事です。すごい。

その一方で、憲法に対しての意識が同じ位に高まって欲しいと願った部分もあります。

このキャンペーンを呼び掛けた方の中には、高い人権リテラシーがあると考えます。その事については応援したいと考えますが、自分は表現の自由や日本国憲法第19条思想・良心の自由にも目を向けて欲しいと思いました。

キャンペーンの最後の方にも、

”そもそも作品でよく描かれている高校生以下の女子は、大人が守るべき児童の枠の中にいます。倫理的にそういう枠の子をエロく描くのはいけないのではと思います。”

とありましたが、もしこれが出版側のポリシーを改変させることになれば、社会的な流れとして表現の自由を制限することに繋がる懸念があります。

マンガにおいて倫理に反するような描写は制限すべきというのであれば、映画や小説、芸術の分野でもいずれ規制の対象となってしまうと考えるからです。

思想・良心の自由については、侵害しないという前提を遵守して欲しいと思うわけです。

キャンペーンでは、

①作品内、メタ的視点で性暴力があるコマには注意書きをする。

②読者が表現をきちんと読み解けるように、性表現レベルを読者に合わせるための読者の性知識アンケート。

という内容をジャンプを制作している集英社に対して要望しています。

この内容自体は良いと思うのですが、これを実施すべきは集英社ではなく文科省じゃないか?という点です。

そして、これを集英社に対して文科省が、「性的な描写に注意書きを入れなさい」と命令するのではなく、学校教育の中の指導に、性的な描写に対しての考え方や、人権についてを考える内容を盛り込むべきだと思いました。

②のアンケートについては集英社で実施して、啓蒙としてのデータとして収集するのは良い手段だと思います。

収集したデータを元にして、どのような教育を行っていくのかを考えていく必要があります。

キャンペーンを立ち上げた方も、

”漫画を使って教育しろと言う気はないですが、今のジャンプの作品内での女子の扱い方は、パブロフの犬のように、読者に「女体=エロ」と脊髄反射でつなげてしまう、そういう訓練になってしまうという一面があると思います。”

と、発言されているように、マンガを教育のツールにすることには違和感を覚えつつ、注意書きの無い性描写は訓練の場になっているという懸念を感じているように思います。

これを解決するには、マンガにはマンガとしての表現の自由を守る一方で、性描写に対しての高い人権意識を養っていくために別の教育が必要であり、それを実施する機関として文科省が音頭をとっても良いと思います。

というよりも、このキャンペーンを立ち上げた方や、きっかけを与えた友人が持つ、女性のみならず人にやさしくする(傷つけない)という人権意識の高さが育った要因に目を向けることがまず重要であり、行政を行う大臣をはじめ多くの大人が学ぶべきことじゃないかと思いました。

自分の事を言えば、そうした性的な描写を読んでワクワクしてしまう一面があります。同じ場面に遭遇できたらラッキーと思うでしょう(ラッキーエロな描写など)。

でも、それを実在している女性に対して同意なく実現することはしません。

他にも、マンガではありませんが、最近京極夏彦さんの魍魎の匣という映画を見ました。

ある種残虐な場面も描かれています。

これを見て、マネしたいと考えることはありませんが、もしこんな世界に自分が飛び込んだらという想像をして、恐怖を味わったり、マッドサイエンティストの快感を自分が感じたら?そこにどうやって至ったのか?などなど、登場する様々な登場人物の中に入ったような気持ちで見ることで作品を楽しみ、何かを学んでいると思っています。

また、これも同様に残虐な場面を再現したいとは思わないわけです。

それはつまり、作品を楽しむことと(思想・良心の自由を謳歌すること)と、作品における非倫理的な行いはしないと誓う、自身の倫理感は別で育ったものであるということにも気づくことになります。

それは自分の傷ついた体験(自分でケガした、誰かにいじめられた)など、その他の体験を想像することで非倫理的な行いをすることを拒絶する思考が生まれると思っています。

しかし、それだけではなく歴史などから環境の要因が人の倫理観を変えるということを学んだからという事もあります。

例えば、戦時中においては自分の身を守るために、非人道的な行為を「お国のため」や「非国民」というレッテルに貼られて、生存の危機回避の名目で自己正当化することがあった、などという話を聞けば、自分はそならないぞと決意するわけです。

もちろん、自分がそうした究極のような場面で、自分の子どもの命がかかったらどうするか?倫理的な考えを貫いて子どもの命もろとも自分の命もなげうつか、倫理では無く子どもの命を守って十字架を背負う(子どもに背負わせる)か、最後の最後まで迷うと思います。

こうした迷いや葛藤の多様性を守ることは大切なんじゃないか?と思います。

多様性を守ったが故に大切な人を無くしたということが起こるかもしれません。自分自身がそう思うことになるかもしれません。

でも、そればかりはどうなるかは分かりません。

つまり、どんなに対策をしても最善を尽くしても悲惨な結果をうむことは避けられないと自分は考えています。

その中で、悲惨な結果を生む確率を下げるべく最善を尽くすことは大切だと思います。

しかし、最善を尽くす中において、思想・良心の自由を制限することは、悲惨な結果にたいしての確率を下げることにならないと思います。

そうではなく、思想・良心の自由の上で、悲惨な結果に繋がる思想に打ち勝つ方法を模索し続ける姿勢が、悲惨な結果を下げる唯一の方法でな無いかと思います。

なにかこれをすれば、以降万事問題無しと考えるのは思考停止であり、継続的に問題に対処しようとする、労力をかけ続けることが大事だと思いますが、みなさんはどのように考えますか?

最後に、このキャンペーンを展開すること自体は賛成ですが、思想・良心の自由を侵すことには断固反対したいと思わされると同時に、自分ももっと色々な世代の色々な人の考えを知る必要があると思いました。