【読書感想】音楽の海岸:村上龍~言葉の威力~

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村上龍の『音楽の海岸』を読みました。

村上龍の本は、自分が小説を読むようになった時に、ハマった作家の一人で、そこからカンブリア宮殿とかを見るようになったりしました。

今回の『音楽の海岸』は1993年に出版されたようです。
バブルが弾ける前くらいですかね。

そんな誰もがきっと浮かれてた時代に、この小説が生まれたのは凄いなって思いました。


音楽の海岸

主人公のケンジはいわゆるヒモで、大ぴらに出来ない性癖を持つ金持ちに女を紹介して稼いでいる。

そんなケンジが自分の女の顧客から石岡という男を破滅させてほしいと依頼を受けて、サイトウという男を使い実現させていく、ハードボイルドな展開のストーリーです。

登場人物についてなども書きたいと思ったのですが、長くなるのでこの本を読んで自分がポイントに置きたいと思った点について書きたいと思います。

ポイントは下記の2つ。
1.言葉
2.自分のスタイル


1993年のバブル当時に湧き上がる日本では、きっと多くの人は何が何だか分からない中で浮かれていたと思います。

今、これだけ不景気な世の中でバブル当時のような好景気になったら老若男女の多くが金銭的な豊かさや物質的な豊かさに目が眩んで、益々自分を見失ってしまうんじゃないだろうか?と思いました。

いきなりですが、話は本から外れてしまって恐縮ですが、アーマードコアというプレステのゲームがあります。

フロムソフトウェアの人気作品で、レイヴンと呼ばれるパイロットが重火器を装備したロボットでミッションをこなしていくゲームなんですけど、このゲームのストーリーの中で人間に秩序をもたらすために、人工知能が統治しようとする陰謀を阻止するというものがあります。

テーマとしては「人は秩序を保ち自ら良い方向に導けるのか?」というものがあって、それを不可能だと思った人が人工知能による統治をしようとした世界が描かれています。

でも、最後はその企てを主人公が阻止するのですが、最後に人間に代わって秩序を保とうとしていた人工知能から、人類はどのような行く末を担うのか、その未来を知る義務と権利があると主人公に言い残して終わります。

「秩序なくして人は生きていけん。例えそれが偽りだとしても」

この人工知能の言葉には、人は秩序があるから生存していける一方で、人だけでは秩序を保つことができないことを表していると思います。

このゲームと本には関係性は無いんですけど、秩序というものが人にとって重要な点を示唆していて、ケンジにとっては自分で自分を保つための秩序を言葉への理解で確立します。

アーマードコアの世界ではケンジのように自分で自分を保てない人が増えたことで、人工知能による秩序を確立しようとしましたが、結果的には主人公に破壊されることになります。


ケンジは自分のスタイルを言葉を正確にとらえることで維持し、いつもブレずにいられます。

”言葉”というものが持つ力と、言葉の使い方を知っているからこそ、本心ではない言葉をいくらでもひねり出すことができました。

一方で、最後はサイトウと石岡にたいしてやったことが見えないストレスなり、言葉を失うことで、不安定になってしまいます。

ケンジは自らの言葉の解釈ではなく、言葉そのものに力があり、どれだけ正確に言葉を見つけるのか?そのことを大切に思っていました。

言うならば”秩序を自分の力で掴み離さない覚悟”を常に持っているわけです。


一方のサイトウはどうか?豊かなものに囲まれて育った環境のせいか、原因を自分の外に見出そうとする事で、自分では秩序が保たず、母親やヨリコ、イタリアンブランドやテスタロッサ、高級マンションといった外側の豊かさで自分を保ちます。

昔なら「ケンジとサイトウのどちらが良いか悪いか?」という視点でしか見なかったと思います。(こどもかっ!?)

結果を言えば私はどちらも良いという結論に至りました。

というより、どちらが良い悪いという結論に至ることよりも、そうした見方をしている自分に気が付くことや、ケンジやサイトウ、石岡、ソフィやユリといった人物視点みた世界を想像するなど、自分が何を考えたのか?という方が重要じゃないかと思いました。


ケンジはサイトウと石岡を目論見通りに破滅に向かわせますが、身体に不調をきたします。

サイトウは残酷なショーを楽しむ様を母親に見られた事で、自分を失いかけますが、母親に守られて元のサイトウに戻りつつある事がヨリコによって語られていました。

望むものを手に入れた男、望むものを手に入れたが故に破滅しかけた男。

一歩引いてみて、それぞれを比べれば幸・不幸という視点で考えてみると、その総量は同じであるように感じました。


人生の幸不幸の総量うんぬんと言ってる時点で、ケンジがくだらないと言ってきそうです。

自分が何をどんな覚悟で実行していくのか?それ以外の事は考えてもしょうがないとも。

でも、一小説として読んだ時には、人との繋がりという視点で両者を見たらどうか?この二人の終末がそれぞれどうなるのか?を考えると、また新しい気づきが得られるので、自分は結局、色々なことを考えることがしたいんだなと思いました。


村上龍の本は本当に久しぶりに読みましたが、いつも主人公の中にある沸き立つようなエネルギーに刺激をもらいますね。

別の本も引っ張りだしてこようと思います。