【読書感想】シャドウ:道尾秀介~親と子について思うこと~

 

自分が父親になってからというもの、『シャドウ』のように父と子の関係が描かれる作品を読む度に子どもの事を考えるようになりました。

自分の一挙手一投足が子どもにどんな影響を与えているのか、と。
良い部分が伝われば良いなと思いつつ、時にはネガティブなことも考えたりしますが、結局はどうなるかは分からない。

恵の死と自分が見た夢のことで動揺する凰介を諭す洋一郎の話のように全ては偶然だとも思います。

ただ、この本を読んで思ったのは子どもっていうのは親の知らない所で強くもなるって事も十分にあるという可能性を感じました。

そんな事は当たり前で、実際に産まれた直後から今日まで日々成長している息子を見ていれば分かることだったりします。

自分が気を付けなければいけないのは、
「子どもの問題を自分の悩みや不安などと一緒にしないこと」
だと自分に言い聞かせることだと思いました。

アドラー心理学でも”課題の分離”というものがあります。

子どもが宿題をしないのは子どもの課題であって、子どもの課題を親が何とかしようと考えることはすべきではなく、子ども課題を解決していくためにサポートするよという態度を示すことや、気づいてもらえるような日々の関係を構築することが重要だと思っています。


また物語の最後、洋一郎のした恐ろしい事の顛末を知った凰介に対して、どうしたら良いのかと動揺する洋一郎。

しかし、凰介は
「いつか、いっしょに考えようよ」
と洋一郎の両手を握り笑顔を向けます。

親がどんな感じで子を思っても、子どもはきっと自分の道を自分で進んでいるんだと思います。

影響を与えていることは間違いありませんが、それをどう受け止めてどういう選択をしていのかは子ども自身です。

そう思った時に、自分の存在が子どもに対して影響を与えていると思う自分自身を顧みると、自分は子どもに対して影響を与えたいんだと気づきました。

なぜ影響を与えたいと思うのかは今の段階では自分でも分かりません。
きっと、生物としての本能なのかなと思ったり、子どもであることを問わず、誰かに影響を与えたい、誰かにとって価値的でありたいと思っているからだとも思いました。

多分に独りよがりな面を感じざるを得ないことに戸惑ってしまいますが、それが今の自分なんだなと思いました。


ここからは余談ですが、以前はこうしたことに善悪のラベルをつけることが癖のようになっていましたが、今は独りよがりな自分というものがあると、ただ認識するだけと意識しています。

独りよがりな面があることが良いのか悪いのか、それ以外のこともそうですが、結局は自分が死ぬ瞬間になるまでは分かりません。

であるならば、悪く考えるよりも良く考えていきたいものであると思いました。


最後は、本の感想とは無関係ではありますが、自分の内面と向き合うきっかけになった道尾秀介さんの『シャドウ』。

凰介を通じて最後に色々なピースがハマっていく感じは、道尾作品ならではで、読んでいて単純に面白さを感じさせてくれました。

「なぜ?」を生む余白を残してくれている点もおすすめしたいと思える本だといえます。