【新・日記118】本日やった事と感想+2匹目の針子、スケルトンキー読了。

【今日の感想】

9/22(水)の感想です。

■2匹目の針子

今日の夕方の夜勤前にメダカに餌をあげていたところ、針子用の水槽にいつ移したのか分からないのですが、2匹目の針子を確認。

大きさ的にはそこまで変わらないので、実は1匹目の時にはいたのかしら。

とりあえず、ハイポネックスでグリーンウォーターを作っていますが、まだまだ緑感が足りないながらも少しだけ針子用水槽に入れてみました。

二週間が勝負ということで、できることをしていこうと思いました。

 

■道尾秀介さん『スケルトンキー』読了

道尾秀介さんの『スケルトンキー』読了しました。

サイコパスの主人公目線で展開される事件。

途中から「あれ?」と思う構成は流石道下トリック。

しかしながら、終盤はサイコパス同士の対決で、さながらジェイソンVSフレディ的なボス同士の対決の様相を呈していました。

サイコパス同士の対決の怖さといったら。

ただ、この作品をエンタメ作品的な観点だけで終わらせるのはどこか腑に落ちない。

そこで、2点ほど自分が感じた事を書きたいと思います。

ネタバレ含むので未読の方はご注意を!

 

最初に、サイコパス双子の錠也と鍵人。

この二人の決定的な差について。

錠也はサイコパス的素養を持ちながら、恐怖を感じられるようになりました。

一方の鍵人は徹底的にサイコパス。

この違いについて考えた時に、他者と対等な関係を持てていたか?がポイントになるんじゃないかと思いました。

共感性に乏しいというサイコパスですが、どこかで繋がりに飢えてる印象を感じました。

鍵人は里親に育てられながらも、双子の存在を知ると里親を殺害して錠也に会いに行きました。

この鍵人にとっての両親は、その時点までは一つの繋がりではあるものの、両親が弟の錠也のことを話さないでいた理由が、親子の関係よりも肉親の関係の強さを持って欲しくないという欲を感じたためです。

言い方を変えれば、親子でありつつも鍵人を自分の所有物的な位置付けにしているとも言えるわけです。

もちろん、年齢を重ねた鍵人に真実を話したのですから、その愛情は本物であったと思うのですが、鍵人からすれば錠也の存在を知らずにいた時間を奪われたと感じてしまったと思います。

奪われたら奪い返す。

親子の間であってもこの不文律は存在した事になります。

一方の錠也はというと、間戸村という仕事と報酬の関係ではあるもの、ある意味ではそこには双方にとっての都合のよいメリット成り立つ対等な関係があったわけです。

サイコパスの人の実際が分からないのですが、少なくともこの小説の中においては、錠也も鍵人も繋がりに飢えている感じがしました。

その繋がりの先にあるのは他者への共感や恐怖といった感情です。

共感に乏しいとはつまり、共感を脳が求めている。

脳が共感を求めるのは、更に言えば心拍を上げることを求めているから、刺激的な事をしたがるというものに近いのではないかと想像しました。

ただ、それがただの繋がりではなく、対等な関係であることが重要なのがなぜなのだろう?という疑問もあります。

一つ想像するのは、対等な関係は安定をもたらす→対等な関係が崩れると安定も崩れる→それが自分にとってデメリットである=恐怖と置き換えられる=繋がりが欲しい、となるんじゃないかと。

ただ、最初から対等な関係が無ければ安定するためには、極端に振れるしかありません。

だから鍵人は薬を服用して心拍数をより下げることで、自分らしさに徹しようとした気がします。

あくまで抜け漏れが多い推測ですが。

 

そして、もう一つが”共感”についてです。

空気の中で生きる地上の生物にとって、水の中で生きる生物の事はまるで理解できないと思います。

その逆もまた然り。

サイコパスの人の思考や感じ方は、そうでない人の思考や感じ方とにおいて、地上を生きるか水中で生きるかとの違いと同じ位のものがあるのではないか?と思いました。

圧倒的にマイノリティなサイコパスの人の感覚が理解できないのは、サイコパスの人からすれば大多数の人がおかしな存在であると感じていると思いました。

言い方を変えればサイコパスの人の感覚でサイコパスな感覚が普通であるなら、サイコパスでない感覚の人を異質な存在として認識しているように思うんです。

しかも、他者への共感が無いのですから、同族のサイコパスへの共感もあるはずが無く、それは大変な孤独の中にいるとも想像しました。

『スケルトンキー』では、錠也と鍵人はお互いがスケルトンキーの如くお互いを理解し合える存在であって欲しいと母が名前をつけ、二人の幸せを願うという無償の愛に結果的には錠也だけですが、触れることになります。

サイコパスであってもそうでなくとも繋がりは存在しているというメッセージでもあり、共感性の弱さ薄さに嘆く人には一つの光明になり得るんじゃないかと思いました。

ただ、最後の辺りを読んでいて、普通なら「錠也も母親との繋がりを感じられて良かったな」という感想を持つと思いますが、当の錠也がサイコパスであるなら、実際の所は繋がりなんて全く感じていないのかもしれません。

サイコパス同士の血みどろの戦いから一転した、温かい雰囲気の最後の情景は読者が勝手に良い雰囲気の終わりだなと思っているだけかもしれません。

なぜなら最後の錠也と思われる人物も、もしかしたら鍵人だったりするかもしれません。

一応、錠也であった事を示す描写がありますが、もう一度読み返さないと本当かどうか疑わしくなってきました。

間戸村が生きているのも、証人としてただ生かしているだけかもしれませんし。

そういう想像を巡らせ始めるとやっぱり道尾秀介さんの作品だなと思わされました。

 

 

【終わったタスク】

◆ハイライト
・道尾秀介さん『スケルトンキー』を読む。

◆勉強
・道尾秀介さん『スケルトンキー』を読む。

◆運動
無し

◆その他
・0秒思考メモ0枚。
・ダイエットブログ更新。
・9/23の予定を決める。
・マイブログ更新。
・水槽チェック。