道尾秀介さんの作品は会社の先輩におすすめを聞いたら教えてくれたので読み始めたのですが、改めて伏線の使い方がうまいというか、繋がりが予想しない形で出てきたり、とにかく最後まで読むと驚く作品が多いです。
このノエルでも驚きの繋がりに関心すると同時に、なぜか嬉しさを感じました。人と人との縁というものが日常の中にひっそりと存在しているんだという事を思い出させてくれます。
今回は”絵本”がその繋がりをもたらすことに一役買っています。
道尾さんの絵本への思いが知りたいなぁと思いました。
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道尾秀介さんのノエルのネタバレ含む感想の続き
さてさて、読書メーターには上記の内容を投稿していますが、ここからはこのブログだけに書きたいと思います。
っていうか、文字数制限があって書けなかっただけなんですけどね。
このノエルですが、冒頭の『光の箱』から早速道尾トリックにかけられます。
読んだこの事の無い方に説明しておくと、道尾トリック(勝手に名前をつけました)とは、読者が勝手に想像を膨らませてしまい、物語の伏線が回収され始めた時に、やっと自分が勘違い(思い込み)していたことに気が付くというものです。
冒頭の圭介が同窓会に行った話から圭介の過去、再び同窓会に戻って、今度は弥生の過去の話になります。(ここでトリック発動!ヒントは胡麻塩頭のドライバー)
弥生の過去が語られた後、再び胡麻塩頭のタクシードライバーが運転するタクシーの中に戻ります。
ここと、冒頭の圭介が同窓会に行ったことがごっちゃになってしまって、弥生の夫のマサキってまさか!えっ!?ってなったり、圭介は寂しいままの男になっちゃうの?となぜかドキドキ。
しかし、実際は圭介同窓会に行く→圭介の過去→弥生ホテルに向かう(2回目の同窓会という名の結婚祝い)→弥生の過去→ネタ晴らしという展開になっています。
しかも夏美も実は・・・嬉しい展開で終わります。
基本的にこのノエルは、ハッピーエンドな話だといえます。
途中はハラハラすること間違い無いんですけどね。
それから他に『暗がりの子ども』、『物語の夕暮れ』というタイトルも含まれているのですが、3つとも”絵本”をキーワードにつながっています。
更に最後まで読むと分かるのですが、タイトルの『光の箱』は圭介・弥生の話だけを読むと「あぁカメラのことだったのか」と思っちゃいますが、『物語の夕暮れ』の中に出てくる絵本(与沢さんの作った物語)に出てきます。
そして、与沢さんの教え子が実は圭介で、与沢さんの言葉で絵本作家になることになったことがエピローグで語られます。
また、与沢さんの作った(時ちゃんに聞かせた)物語も与沢さんの人生とリンクしていて、自分には妻にも先立たれ、子どももいなくて人生に影響を与えられるものが無いと思っていたのに、実は上記のように圭介を絵本作家にさせたきっかけになっていたことや、圭介が作った絵本が好きな莉子と妹の真子がいたことで、最後は与沢さんも死の淵から生還するという、文字で説明するのが難しいけど、驚きの繋がりが描かれています。
で、この話を読んで思ったのは、誰もが与沢さんのように自分の生きた証の無さに嘆いたり、自分の人生について思い悩むことがあると思いますが、実際は自分の知らない所で何かの影響を与えているという点がお釈迦様が説いた縁起に近いなと思いました。
ただ、それは誰しもが実際は体験していることなのに、中々気が付きにくいことでもあります。
ノエルで言えば与沢さんのようなものです。
あれだけ人生を達観して、年寄りに気を使うのではなく、年寄りが気を使うものというような人生観を持つ与沢さんでも、自分は何も残せていなかったと思っちゃうんですから。
でも、そうじゃないんだよ。
光の箱が小さくなって粉になって見えなくなったけど、誰かには見えているし、役に立っているんだよ。
と、それが身近なストーリーとして描かれています。
きっと中には「結局フィクションじゃん」と思う人もいるかと思います。
本当に何も残せないでこの世を去る人だっているんじゃないの?と思うかもしれません。
そうかもしれないんですけど、自分は今の地球上の70億人がそう思ったとしても、未来の中の一人のためになっているんだとという事も確信できます。
まぁこの本自体はそこまで大げさじゃないところがまたいい塩梅なので、変な説法を聞くよりもいいなぁなんて思ったりもしました。
人生とはなんぞや?と考えながら読むのでも良いし、単純に想像を超えた繋がりに驚くエンタメとして読むのも良いし、伏線作りの研究として読むのもいいですね。
ただ、最初から最後まで読めばきっと「こりゃあ面白いわ」となるんじゃないかと思いました。
おすすめです。