こんにちは!
前回のガンダムリベンジその①から数日が経ってしまいましたが、劇場版機動戦士ガンダムを見終わりました。
第一部を見終わって思ったのは、
「めっちゃおもしろいやんけ!」
ということでした。
まじで面白いのよ。
で、何が面白かったのかと言えば、個人的にはやはりシャアの存在でしょう。
と同時にアムロのあのキャラに引っかからずにはいられませんでした。
劇場版機動戦士ガンダムのストーリー展開については、きっと広いきれていない部分もあると思いますが、人物像という点については十分に楽しめた、というよりも考えさせられる部分が多かったです。
ということで、劇場版機動戦士ガンダムの第一部を見て感じたアムロについてから書きたいと思います。
少年アムロの葛藤と成長
最初にアムロですが、このアムロ・レイというキャラ。
見ているとなんとなく腹が立ってきます(笑)
というのは、アムロの子供じみた一面に自分を投影してしまい、自己嫌悪になるからかなと思いました。
やりたくてやってるんじゃない感じとか、マチルダさんへの恋慕の情を隠しきれない感じとか。
それ以外にも、ブライトに厳しく当たられる姿を見ると、
「そんな言い方しなくてもいいじゃないか」
とアムロを擁護したくなる感じもまた相まって、アムロと自分を重ねてしまうの理由の一つかもしれません。
でも、そんなアムロですが、見逃せないキャラであることも予感させます。
ジャブローを目指している途中、ガルマ・ザビが戦功を上げようとホワイトベースとガンダムたちを襲います。
結果的にガルマはシャアの陰謀?によって、戦死することになります。
その弔いを兼ねてランバ・ラルという青色のザク?に乗った敵と対決します。
結果的にはランバ・ラルが戦況を読んで退くのですが、歴戦の勇士の前に高性能のガンダムでも太刀打ちできませんでした。
そんな強敵と戦う前のアムロですが、なんと兵士にあるある病にかかり戦意喪失な状態だったんです。
自分の置かれた状況と自分の思いのギャップが大き過ぎて受け止めきれなくなっていたのです。
しかし、ランバ・ラルを前に戦うことで、やらなきゃやられるという覚悟を決めるしかなく、なんとか自分を取り戻しランバ・ラルとは引き分けとなります。
ランバ・ラルが引いたあと、再びジャブローに向かうホワイトベースの中でアムロは、ガルマ・ザビの兄であるギレン・ザビの弔事の放送をみます。
ブライトがザビ一族が支配したいだけだろ、と憤る中でアムロはジオン公国という敵を改めて意識することになるのでした。
ニュータイプとして一目置かれるアムロ。
一方で望まない戦争に巻き込まれながらも、自分の使命に葛藤していくことになると思います。
同時に、マチルダさんや先輩リュウ、ブライトやその他の仲間との関わりやシャアとの対峙でどのように成長していくのかが楽しみです。
大人の男と坊やの違い
さてさて、次はガンダムシリーズでも屈指の人気を誇るシャア・アズナブルです。
自分もシャアの名言などはテレビなどでも見たことがあったので、名台詞が出るとニヤッとしてしまいました。
しかし、シャアがバーで酒を飲みながらガルマ・ザビの弔事の放送を見ている時につぶやいた、
「坊やだからさ」
の、台詞には驚きを隠せなかったというか、なぜシャアがここまで惹かれる存在なのかを表す一面であると思ったんです。
というのは、アムロ、ガルマ・ザビと比較することで、その一面が分かりやすくなりました。
まずガルマ・ザビですが、シャアの昔からの友人で、地球連邦軍がガンダムというモビルスーツを保有していることから、シャアはジャブローへ向かうアムロたちを追いかけていました。
しかし、幾度の攻撃をも潜り抜けてなかなか成果を挙げられずにいたのです。
そんな時にガルマ・ザビに支援を要請することになります。
ガルマ・ザビは有力者であるエッシェンバッハの娘、イセリナとの結婚を望んでいましたが、結婚を認めてくれるか分からず、自分が大きな戦果をあげえれば認めてくれるだろうと、ホワイトベースとガンダム奪取へ向かいます。
しかし、シャアの工作によるものなのか、ガルマ・ザビはイセリナへの思いも虚しく戦死します。
その戦死した理由について、シャアは「坊やだからさ」といいます。
何が坊やなのか?最初は分かりませんでした。
でも、ガルマ・ザビはザビ家の中で逆境を知ること無くある意味で真っ直ぐに成長してきたわけです。
ガルマ・ザビは自分の能力や境遇をきっと
「すべて自分の思い通りにできる」
と思っていたのでしょう。
そんな人間性をまさか旧知の間柄であるシャアに利用されるとは思わず、ホワイトベースの決死の攻撃により戦死。
エリートとして、自国のために戦果を上げようとする姿はある意味で、社会人の鏡だと言えます。
でも、自分のことばかりを見すぎていた為か、その社会の中に潜む悪意や自分以上に執念を持った人間がいることに気が付かないでいる姿を見ていたからこそ、シャアは「坊やだからさ」と言ったのだといことが分かったんです。
きっと、自分が今、この歳になったから分かったんだと思うのです。
では、そうしたガルマ・ザビの坊やな一面を見透かすことが出来るシャアは、なぜゆえにそれが出来たのか。
それについては、これからの第二部、三部で徐々に明かしされていくのだと思います。
一つだけ言えるとすれば、それはシャアが誰よりも辛酸を嘗めて、自分の執念でもって遠望な目的に向かっているからだと言えるんじゃないかと思います。
その遠望な目的が何かをしっかりと見ていきたと思います。
それでは~
私はデスラーのガミラスに下品な男は不要だが好きだがな。