こんにちは!
前回、Zガンダムを見始めた記事を書きましたが、50話一気に見てしまいました。
それだけ面白かったというのはあるんだけど、それにしても話が悲しすぎやしませんか。。。
ねぇ。
逆に言えば、戦争って悲惨やな~って思わせる感じとも言えるのかと。。。
今回は、Zガンダムを見ての感想をポイントに分けて書いてみたいと思います。
カミーユ・ビダンの悲劇
まずは、Zガンダムの主人公のカミーユ・ビダン。
当初は、突然キレたり、素直になったり、大丈夫なのか。。。と心配になる感じだったんだけど、ティターンズの横暴に巻き込まれて両親が帰らぬ人になったり、敵として現れたフォウとの恋や、悲しい別れ、それからカツの登場、レコアの裏切り、エマや仲間の死という壮絶な体験をしている様をみて、カミーユに同情しちゃいましたわ。
もしもは無いんですけど、もしフォウとの恋が実っていたら。。。
もっと早くグリプス戦役が終わっていたら。。。
と思わずにはいられませんでしたね。
若さゆえ?
当初はエウーゴの戦艦アーガマにゲスト気分で乗り、ガンダムマーク2に乗ってたカミーユですが、戦いを通じていく中でブライトの命令に素直に従うようになったり、カツという後輩が出てきてからは、無茶をするカツをたしなめたり、戦況を見ることを教えたりと、どんどん成長していきました。
特に戦いの中においては、ニュータイプゆえの潜在能力をいかんなく発揮していました。
しかし、その一方でニュータイプであるが所以感じざるを得ない、人々の悲しみの声に戦争の悲惨さや愚かさに苦しみます。
このことは、ニュータイプがゆえに普通の人が感じられないものを感じてしまうがゆえ、ということもあるんですけど、カミーユは若さゆえ?
「もう少し割り切れば良いのに」
と、もしかしたら普通の人は思うところだと思いますが、カミーユは若さゆえか目の前の現実に飲み込まれて、最後は精神を壊してしまいます。
可哀想に。。。
カミーユ・ビダンをどう見るのかを問われているのか?
ガンダムという作品については、自分は機動武闘伝Gガンダム世代なので、ロボットアクションアニメだと思っていました。
しかし、機動戦士ガンダムからZガンダムを見て、それだけの作品じゃないことがわかってきました。
こと、今回のカミーユ・ビダンを見て、自分はたくさん考えることがありました。
一つだけ、挙げるとすれば
「目の前の現実をみて、自分がどういう選択をするのか?」
です。
カミーユは向き合い続けたゆえに精神を壊してしまった。
自分ならどうするのか?
この事については、今の時点で出せる答えなんて軽いものになるという点であまり意味をなさず、では確立した答えを見出すことができるのか?と問われれば、それは無理だということもわかります。
じゃあどうすんの?っていうと、こればっかりは目の前に選択肢を突きつけられた時に出す以外にないんじゃないかと。
Zガンダムを見てて、なんでここまでハマったのかと言われると、そうした人間ゆえの悩みとぶつかる様々な人間模様が見られたからだと思いました。
カミーユを見ていて思ったのは、自分を貫き通す力が自分を壊すこともあるということ。
目の前の選択において、カミーユは「戦争というものさえなければ・・・」という思いでシロッコと戦います。
しかしその結果、あまりに多くの仲間、思い人を失ったことで精神を崩壊させてしまいます。
カミーユはどんな選択をすべきだったのか?という疑問は意味をなしません。
なぜなら、カミーユの選択はきっと同じだからです。
なので、自分がカミーユと同じ立場だったら?と考えることが必要になると思います。
自分ならどうしていたか?
そう考えた時に思ったのは、カミーユはどんなゴールを描いていたのか?という点です。
Zガンダムを見終えて、ふと立ち返って見た時にブライト・ノアのことを思いました。
ブライトは一年戦争を得て、今度はグリプス戦役と幾多の戦争を経験し、仲間の死にも直面しています。
エウーゴ時代はウォン・リー(エウーゴの出資者)といった厄介な上役とも一緒に行動しますが、一歩も引かず時には部下をたしなめてウォンの命令に従います。
ブライトと同じ立場ならとっくに立場を放棄したいと思うだけではなく、一年戦争だけでも燃え尽きているんじゃないかと思いました。
でも、ブライトその後も軍人として活躍します。
なんでここまで出来るのか?軍人として生きるという目的があるからなのか?自分には軍人以外は出来ないと分をわきまえているからなのか?はたまたその両方?
一つ言えるんじゃないか?と思うのは、分をわきまえるという点で自分の出来うる限りの事はするが、自分が出来ないことはしないという事を守っているか?という点です。
話がカミーユからブライトに変わってしまいましたが、ブライトのように仮に自分の分をわきまえることがカミーユにも出来たとしたらどうだったでしょうか?
それでも、ニュータイプである以上、戦局によって分を超えた行動を取ることになったのだとすると、結果は同じなのかもしれません。
これだと生まれによって運命が決まってしまうような印象を感じてしまいます。
しかし、結果は同じと言えども運命に従っていると思うのか、運命ではなく自分の意志だと思っているのかでは、結果は大きく異なるんじゃないでしょうか?
自分の意志を貫き通すことが出来たが故に、ZZガンダムの主人公であるジュドーへ意思をつなげることが出来たんじゃないかと。
未来が分かり、なにをしても結果が同じなら自分の世代だけで完結しても良いと思えば、意思を未来につなげていくという事は恐らく出来ないんじゃないかと。
人の意思もめて決まったものであるとは思いたくない、というよりも人の意思があらゆるもの(自分の世界=内部表現という言い方もします)を決めていくと考える方が自然な気がしました。
全くもって語るべきポイントが多くて絞り切れずにまとまりがないのですが、一言言えるのはZガンダムも面白いということです。
と、同時に富野由悠季さんにも興味を持つことになりました。
富野さん曰く、ガンダムは娯楽で学ぶべきことは無いとのことですけど、学ぶことだらけだったり。。。
それよりもドストエフスキーやゲーテなどの本を読めとのことなので、世界的な文学にも挑戦していこうと思いました。
とりあえずはガンダムを楽しみながら。
それでは。